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東京高等裁判所 平成2年(行ケ)49号 判決

主文

特許庁が、昭和五七年審判第一三〇八七号(A)事件及び同年審判第一四一九五号(B)事件について、平成元年一二月二七日にした審決をいずれも取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を三〇日と定める。

理由

【事実及び理由】

第一  当事者の求めた判決

一  原告ら

主文一、二項と同旨

二  被告

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者間に争いのない事実

一  特許庁における手続の経緯

被告は、一九六七年一一月八日にアメリカ合衆国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和四三年一一月七日、名称を「クロム酸鉛顔料およびその製法」とする発明につき特許出願をし、同出願は、昭和四六年一〇月一二日に出願公告(特公昭四六-三四七八八号)され、昭和五四年五月二五日に特許第九五二〇六五号として設定登録された(以下「本件特許」といい、その特許請求の範囲第一項に記載された発明を「本件第一発明」と、同第二項に記載された発明を「本件第二発明」と、両発明を合わせて「本件発明」という。)。

原告ら及び訴外日本無機化学工業株式会社は、それぞれ別個に本件特許を無効とすべき旨の特許無効審判請求をしたところ、各請求は、昭和五七年審判第一三〇八七号事件〔(A)事件、請求人・原告東邦顔料工業株式会社〕、昭和五七年審判第一四一九五号事件〔(B)事件、請求人・原告日本化学工業株式会社〕及び昭和五七年審判第一五三二四号事件〔(C)事件、請求人・訴外日本無機化学工業株式会社〕として係属した。

特許庁は、上記各事件を併合して審理したうえ、平成元年一二月二七日、「上記(A)、(B)及び(C)の各件について、審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、平成二年一月三一日、原告らに送達された。

二  本件発明の要旨

(一) 本件第一発明

全重量に基づき約二~四〇重量%のち密な無定形シリカを実質的に連続性の皮膜としてその表面上に沈着させた、顔料スラリーの遠心分離処理を含む粒子サイズ分布測定法により測定してそれぞれ粉末度四・一μ以上のもの一〇%以下および粉末度一・四μ以下のもの少なくとも五〇%を含むクロム酸鉛顔料粒子から実質的に成り、光、希酸、希アルカリ、石ケン溶液および特に二二〇~三二〇度シーの温度範囲の融解熱塑性樹脂と接触した際の変色および摩擦に対し抵抗性をもつ改良クロム酸鉛顔料。

(二) 本件第二発明

(1)クロム酸鉛粒子を水性媒質中でスラリ化する工程および(2)そのようにスラリ化した顔料粒子にpH六以上および六〇度シー以上において、ケイ酸ナトリウム水溶液から、ち密な無定形シリカ二~四〇%を沈着させる工程から成る前項記載のシリカ被覆したクロム酸鉛顔料の製造方法において、シリカを沈着させる前に、スラリ中のクロム酸鉛顔料粒子に強力なセン断を加え、それによって顔料スラリーの遠心分離処理を含む粒子サイズ分布測定法により測定してそれぞれ粉末度四・一μ以上の粒子を一〇%以下に、かつ粉末度一・四μ以下の粒子を少なくとも五〇%にすることを特徴とする改良方法。

三  審決の理由

審決は、別添審決書写し記載のとおり、

(一) 請求人ら(原告ら)の主張した、本件発明は、その優先権主張日前に日本国内又は外国で頒布された刊行物(審判事件・甲第一~第一〇号証、第一二号証)に記載された発明に基づき、容易に発明することができたものであるから、特許法二九条二項により特許を受けることができないものであるとの無効事由の主張に対し、名称を「シリカで被覆されたクロム酸鉛顔料」とする発明(以下「本件公知発明」という。)を記載した一九六七年九月二二日発行のフランス工業所有権公報第三八号(審判事件・甲第五号証、本訴・甲第三号証、以下「本件公知発明公報」という。)には、本件第一発明の必須の構成要件であるクロム酸鉛顔料粒子の粉末度について「顔料スラリーの遠心分離処理を含む粒子サイズ分布測定法により測定してそれぞれ粉末度四・一μ以上のもの一〇%以下および粉末度一・四μ以下のもの少なくとも五〇%を含む」と規定した点(以下「特定粉末度」という。)及びクロム酸鉛顔料の性質について「二二〇~三二〇度シーの温度範囲の融解熱塑性樹脂と接触した際の摩擦に対し抵抗性をもつ」と規定した点(以下「特定の摩擦抵抗性」という。)、並びに、本件第二発明の必須の構成要件である上記「特定粉末度」及び「特定の摩擦抵抗性」の規定及び「シリカを沈着させる前に、スラリ中のクロム酸鉛顔料粒子に強力なセン断を加え、それによって顔料スラリーの遠心分離処理を含む粒子サイズ分布測定法により測定してそれぞれ粉末度四・一μ以上の粒子を一〇%以下に、かつ粉末度一・四μ以下の粒子を少なくとも五〇%にすること」(以下「特定の製造方法」という。)について記載がないほかは、格別相違するところがないと認定したうえ、その相違点の判断において、本件明細書の例四、例五の記載によれば、本件発明における特定粉末度の規定は、特定の摩擦抵抗性の向上にとって意義を有するという関係にあって、意味をもつ規定であり、この特定粉末度が業界で古くから普通に行われているコロイドミル又はホモジナイザーにかける分散の結果そのものであるとはいえないから、特定粉末度を選択し、必須の要件として本件公知発明に結合することは当業者に容易になしうることではないと判断し、

(二) 請求人ら(原告ら)の主張した、本件発明は、その先願に当たる昭和四一年一〇月四日出願に係る特願昭四一-六四九五三号明細書(審判事件・甲第一号証、本訴・甲第一二号証、以下「先願明細書」という。)記載の名称を「シリカ被覆クロム酸鉛顔料」とする発明(以下「先願発明」という。)と同一であるから、特許法三九条一項により特許を受けることができないものであるとの無効事由の主張に対し、先願発明は、本件第一発明とは、クロム酸鉛顔料粒子の上記「特定粉末度」の規定及びクロム酸鉛顔料の性質についての「光、希酸、希アルカリ、石ケン溶液および特に二二〇~三二〇度シーの温度範囲の融解熱塑性樹脂と接触した際の変色および摩擦に対し抵抗性をもつ」(以下「特定の性質」という。)の規定がない点で、また、本件第二発明とは、この二つの規定と上記「特定の製造方法」の規定がない点で、それぞれ相違すると認定し、本件発明において特定粉末度の規定に意義があることは上記(1)のとおりであるから、他の相違点につき判断するまでもなく、本件発明は先願発明と同一ではないと判断し、

結論として、各請求人主張の理由及び証拠によっては、本件特許を無効とすることはできないものと判断した。

第三  原告ら主張の審決取消事由の要点

審決の理由のうち、本件発明の要旨、本件公知発明及び先願発明の内容の認定、本件発明と本件公知発明との一致点及び相違点の認定、本件明細書及び米国特許第二八八五三六六号明細書(審判事件・甲第二号証、本訴・甲第四号証、以下「アイラー特許明細書」といい、その発明を「アイラー特許」という。)の記載内容の認定は、いずれも認める。また、本件発明と先願発明との相違点の認定も、表現上そのような差異があることは認める。

しかしながら、審決は、本件発明と本件公知発明との相違点の判断において、本件発明の規定中最も基本的な意義をもつ特定の製造方法の規定について実質的判断を遺脱した結果、何ら格別の意義のない本件発明の特定粉末度、特定の摩擦抵抗性の各規定に意味があるものと誤って判断し(取消事由一)、本件発明は、本件公知発明と、原告らの提出したその他の公知文献の記載から、当業者が容易に発明することができたものであるのに、その判断を誤り(取消事由二)、先願発明との同一性の判断において、先願発明は、本件発明の特定粉末度、特定の性質及び特定の製造方法のいずれをも備えた実質的に同一の発明であるのに、これを誤って否定し(取消事由三)、誤った結論に至ったものであるから、違法として取り消されなければならない。

一  取消事由一(本件公知発明との相違点の判断における判断遺脱と判断の誤り)

審決は、「以上のとおり明細書の記載から、本件発明におけるクロム酸鉛顔料粒子の特定粉末度の規定及び特定の摩擦抵抗性の規定は、クロム酸鉛顔料の特定粉末度がシリカ被覆したこれらのクロム酸鉛顔料の殊に摩擦に対する抵抗性及び高温成形時の安定性を向上させるために、すなわち、特定の摩擦抵抗性にとって意義を有するという関係にあり、少なくとも特定粉末度の規定は意味をもつものであることは明らかである。」(審決書一八頁末行~一九頁八行)と判断しているが、誤りである。

審決は、「特定の摩擦抵抗性」につき、不適切な把握をしたため、技術的意味が不明で、かつ誤った判断をし、殊更に技術的意味のない「特定粉末度」の規定に意義があるものと誤って判断しているほか、クロム酸鉛顔料の「特定粉末度」を達成する手段として重要な意義を有する「特定の製造方法」につき、実質的判断を欠き、誤った結論に至った違法がある。

(一) 本件発明における三要件の規定の意味

本件発明は、シリカ被覆クロム酸鉛顔料が液体媒質中の摩擦作用でシリカ皮膜が剥離し、熱、光、薬品等により化学的安定性を失うとの課題を解決することを目的として、「特定の製造方法」として規定されているシリカ被覆をする前にクロム酸鉛顔料スラリを強力セン断処理することによって、「特定粉末度」を得、これによってクロム酸鉛顔料に「特定の摩擦抵抗性」を与えるという作用効果を奏するものである。したがって、本件第二発明における「特定の製造方法」と、本件第一発明における「特定粉末度」及び「特定の摩擦抵抗性」とは、順次、手段ないし製造方法、中間原料の粒子分布特性、目的生成物の物的特性ないし作用効果という相互に密接不可分な関係に立つから、「特定の製造方法」であるシリカ被覆前のクロム酸鉛顔料スラリのセン断処理に基本的意義を求めることが不可欠である。

そして、本件発明と本件公知発明との相違点は、審決も認定するとおり、この三つの要件を規定したことに尽きるから、これらの規定が意義を有するか否かが本件発明の特許性に直接関係することは明らかであり、この三つの要件の意味するところを判断するには、本件明細書の記載のみからこれを論ずるのではなく、出願当時の技術水準や公知文献が開示ないし教示する技術思想との対比の上で、それぞれの規定の有する意味とその関係を検討しなければ、正当な判断とはいえない。

しかるに、審決は、以下に詳述するとおり、最も基本的な意義を有する「特定の製造方法」の意味するところにつき判断を遺脱し、本件明細書の例四、例五の記載を鵜呑みにして、極めて皮相的に、かつ、技術的にも論理的にも意味不明な認定判断を行っている。

(二) 特定の摩擦抵抗性の把握の不適切と評価の不当

〈1〉 審決は、本件発明のクロム酸鉛顔料の「特定の性質」である「光、希酸、希アルカリ、石ケン溶液および特に二二〇~三二〇度シーの温度範囲の融解熱塑性樹脂と接触した際の変色および摩擦に対し抵抗性をもつ」(審決書二八頁九~一二行)と、本件公知発明(甲第三号証)のクロム酸鉛顔料の性質である「酸、アルカリおよび石ケン溶液に接触したとき、および露光および三二〇度シーまでの温度に加熱したときに変色に対し耐性を有する」(審決書九頁一~四行)と対比して、本件発明の「特定の摩擦抵抗性」を「二二〇~三二〇度シーの温度範囲の融解熱塑性樹脂と接触した際の摩擦に対し抵抗性をもつ」ことと定義したうえ(同九頁一四~一六行)、本件発明の例四、五に基づいて、その評価をしている(同一六頁一七行~一九頁八行)。

しかし、本件発明の上記「特定の性質」は、樹脂との摩擦接触における熱安定性に限らず、光、希酸、希アルカリ、石ケン溶液に対する変色抵抗性の観点からも評価すべきものであるのに、本件明細書中には、光、希酸、希アルカリ等に対する安定性については、摩擦下であると否とにかかわらず、この点については評価法すら説明がなく、結局、審決の定義した「特定の摩擦抵抗性」は、定義も概念も曖昧なものとなっている。

それはそれとして、審決の定義した「特定の摩擦抵抗性」について要約されているとして挙げられた例四の評価は、本件明細書に、「この試験で決定したプラスチック中での熱安定性を、比較数値による表示で次表に示す。この数値の一〇は、高温で射出成形した材料と、低温(二〇〇度シー)で成形した対照とを比較したときに色の変化が認められないことを示す。これに対し、数値の〇は未被覆加工の顔料中で認められた色の変化と同じ程度の変色を示す。」(甲第二号証一五欄三四~四〇行)とあるように、定性的かつ感覚的なものであり、対照とした試料番号Dには何らの分散条件(分散速度)も示されていない。

さらに、例一~三は「かんローリング」による摩擦下での評価であるが、より感覚的、定性的なものとなっている。

〈2〉 ところで、特定の摩擦抵抗性を有するシリカ被覆クロム酸鉛顔料については、本件発明と同一の発明者による別件発明が被告によって同日に特許出願され、出願公告されている(甲第一〇号証・特公昭四六-四二七一三号公報)。

この別件発明のシリカ被覆クロム酸鉛顔料は、その表面にロジン酸又は長鎖状脂肪酸アルカリ土金属塩二~三〇重量%を沈着させた、特定の摩擦抵抗性を有するものであるが、ロジン酸等を沈着させる前のシリカ被覆クロム酸鉛顔料は、シリカ被覆前の顔料スラリに本件発明の採用する操作手段と同様の「強力セン断を加え」て製造するものであるから、その際の顔料スラリについては、特定の粉末度の確認をしてはいないものの、当然にセン断作用の効果として本件発明と同様の特定粉末度を有していることは疑うべくもないところ、その例一の記載によれば、本件発明品に相当するロジン酸塩処理をしていないシリカ被覆した基材顔料は、三二〇度シーの熱を加えた摩擦抵抗性においてレッド・デビル混合の場合「よくない」結果となっており、例二でも「著しい熱安定性の劣化」が示され、この顔料から調製したエナメルは「非常に貧弱な光沢を示し」、例七でも三二〇度シーにおける熱安定度がランク二(ランク四以下は実用に耐えられない摩擦抵抗性しか有しない。)となっている(同号証八欄四行~一〇欄末二行、一〇欄末行~一二欄一一行、一五欄末行~一七欄末行)。

すなわち、本件発明に相当する強力セン断を加えたシリカ被覆クロム酸鉛顔料は、穏やかな摩擦下の使用であっても、熱安定性も光沢も著しく低下し、特定の摩擦抵抗性は全くないことが示されているのである。

この別件発明の特許公報は、本件において公知刊行物ではないものの、本件発明の技術的意義を客観的に把握するために重要であり、これによれば、上記のとおり、本件発明における特定粉末度の規定は特定の摩擦抵抗性にとって意味をもつとした審決の判断が誤っていることを如実に示しているのである。

(三) 特定粉末度の規定の技術的意義と審決の誤り

〈1〉 本件発明のクロム酸鉛顔料粒子の特定粉末度の規定は、審決の認定するとおり、「顔料スラリーの遠心分離処理を含む粒子サイズ分布測定法により測定してそれぞれ粉末度四・一μ以上のもの一〇%以下および粉末度一・四μ以下のもの少なくとも五〇%を含む」(審決書九頁九~一二行)というものであって、本件明細書中の図面にも示されているとおり、連続的であり、格別意義のある変曲点もあるわけではない。

また、この粉末度は、粒子間相互作用が生じてストークス則が適用し難い高濃度スラリを検体とする遠心沈降法によるものであって、極めて再現性に乏しい方法(例五参照)で求められている。したがって、セン断作用の効果として得られる本件発明の「特定粉末度」の規定には、元来理論的根拠はなく、専ら特定の摩擦抵抗性の評価から求められたものである。

しかるに、その規定の根拠である特定の摩擦抵抗性は、上記(一)のとおり、その概念自体が不明瞭であるのみならず、その評価法すら感覚的かつ定性的であり、特定の摩擦抵抗性とセン断力との間の因果関係が客観的には認められないものである。

〈2〉 クロム酸鉛顔料の粉末度を検討するには、究極に分散した一次粒子(一個一個の粒子)の大きさを前提として認識しなければ、その技術的意義を理解することができない。

クロム酸鉛顔料の一次粒子は、普通、平均粒子径で〇・一三~〇・二六μ(甲第九号証「色材工学」一八六頁表三・一八)であり、大きくとも約〇・三μ程度のものである。これが数個ないし数十個集合(アグロメレート)したものが二次粒子であり、このことは当業者にとって常識となっている。

一方、本件発明にいう特定粉末度は、「一・四μ以下のもの少なくとも五〇%を含む」というのであるから、一・四μを超えるものが五〇%あり、そのうちに「四・一μ以上のもの一〇%以下」を許容できるものであるから、上記のような微細な一次粒子であるクロム酸鉛顔料スラリの粉末度において、この程度の粉末度は、当業者がみれば、極めて分散不良の大きなアグロメレートの状態のものまで含んでいることが明らかである。

このように、本件発明の特定粉末度の程度は、当業者が知る常識的な分散手段で普通に得られるものにすぎず、特段の技術的意義が認められるものではない。

前掲特公昭四六-四二七一三号公報(甲第一〇号証)が奇しくもその実態を開示したように、本件発明の特定粉末度の規定と特定の摩擦抵抗性との関係が否定されるのは、理の当然といえる。

〈3〉 一般に、顔料は、その機能をよりよく発揮させるために、シリカ被覆に限らず、界面活性剤やワックス類、高級脂肪酸塩等による表面処理をして用いられるから、アグロメレート状態で表面処理された顔料粒子は、熱塑性樹脂の着色に使用される場合等のように、固体若しくは粒状樹脂と混合し激しくかき混ぜられると、この摩擦下の使用により、脱アグロメレートされ、被覆が破壊されて、未処理の露出粒子が発生し、表面処理効果が低下する。これに対処するために、表面処理前にセン断力を利用して、二次粒子を一次粒子又はこれに近い状態に分散させることは、当業者の常識的な手段となっている(甲第九号証一九六頁、一九七~二〇一頁)。

すなわち、審決が、本件発明の課題とその解決手段として摘記したところ(審決書一六頁七~一六行)は、当業者の常識とする自明なことに他ならない。

〈4〉 他方、本件公知発明(甲第三号証)に係るシリカ被覆クロム酸鉛顔料は、上記のセン断分散という摩擦下で顔料を使用する背景技術のもとでの公知技術であって、本件公知発明のシリカ被覆クロム酸鉛顔料が有する「酸、アルカリおよび石ケン溶液に接触したとき、および露光および三二〇度シーまでの温度に加熱したときに変色に対し耐性を有する」とする性質は、背景となる使用技術に耐えるものとして理解されるのみならず、「クロム酸鉛顔料とその顔料の各粒子表面に実質的に連続した皮膜として」とある「各粒子」の有する分散度は、後記二のとおり、当時の常識的分散手段との関係で理解すれば、本件発明程度の特定粉末度を本質的に有しているものと解することができる。

本件公知発明の公開当時、上記のような激しい摩擦下での使用技術がないのであればともかく、上記使用技術が一般的であった状況においては、審決が対比した表現上の特定粉末度及び特定の摩擦抵抗性において、本件公知発明と本件発明とに実質的な差異は認められないものというべきである。

しかるに、審決は、最も基本的な要件規定である本件発明の「特定の製造方法」の意義について、その実質的な意義につき何らの検討をすることなく、両発明の記載上の相違点に実質的意義を認めたものであり、判断遺脱があるほか、結論において誤っていることも明白である。

二  取消事由二(容易想到性判断の誤り)

審決は、上記一の判断に引き続き、「次に、この特定粉末度が顔料スラリーを顔料業界で古くから普通に行なわれているコロイドミル又はホモジナイザーにかける分散の結果そのものであるかどうかをみる。」(審決書一九頁九~一二行)とする命題を設定し、アイラー特許明細書(審判事件・甲第二号証、本訴・甲第四号証)の記載を引用したうえ、結論として、「それゆえ、本件発明で規定する特定粉末度が顔料スラリーを顔料業界で古くから普通に行なわれているコロイドミル又はホモジナイザーにかける分散の結果そのものであるとはとうていいえない。」(審決書二五頁一四~一八行)と判断するが、誤りである。

(一) 審決の判断の誤りは、まず、上記のような命題設定の誤りに由来する。すなわち、ここでの問題提起としては、本件発明の特定粉末度の規定が周知慣用技術における分散の結果そのものであるかどうかだけでは不十分であり、当業者の常識的知識に照らし、分散の結果が当業者にとって容易に推考しうるものであるかどうか、周知慣用技術であるコロイドミル又はホモジナイザーにかけて容易に達しうる程度の分散度であるかどうかとされるべきものである。

(二) よしんば、上記問題設定を是認するとしても、

〈1〉 本件発明の特定粉末度及び特定の摩擦抵抗性の各規定は、上記のとおり、ともにセン断作用に依拠しているから、本件発明は、クロム酸鉛顔料のセン断処理にその基本的意義を求めなければならない。このセン断処理が、本件公知発明との相違点として審決の認定した本件発明の「特定の製造方法」である。

本件発明における「特定の製造方法」の手段としては、本件第二発明の要旨には、「強力なセン断を加え」と機能的、抽象的にしか記載されていないから、その具体的操作条件について、本件明細書をみると、使用する分散機はホモジナイザーやコロイドミルが好ましいが、機能上セン断力が作用すれば装置に限定はないこと、前記分散機はいずれも顔料製造工業で普通に用いられており、操作条件に限定はないこと、強力なセン断力を加えて、本件発明で要求される程度の脱アグロメレーションを得るのに必要な操作条件は、当業者にとって自明のことであることが記載されている(甲第二号証六欄一~二二行、九欄三四行~一〇欄一五行)。

〈2〉 ところで、一九五〇年発行「Chemical Engineers’Handbook」(甲第七号証)、同年発行「Collidal Dispersions」(甲第八号証)によって、公知の手段をみると、ホモジナイザーによる均質化は通常一〇〇〇p.s.i以上の圧力で行われること、高速、水圧セン断、圧力降下及び衝撃が分散相を直径一μ程度の非常に微細な分割状態にすること、コロイドミルは極めて微分散が必要とされている場合に用いられ、〇・〇〇一インチ以下に開かれた非常に高速で回転している頑丈なローターとその囲いとの間に送られること、大型のコロイドミルは通常〇・〇〇四~〇・〇〇八インチのクリアランスで操作されること、セン断は凝集塊を直径一μ以下の最終的顔料粒子径の単位にまで分散することが記載されている。

〈3〉 上記の〈1〉、〈2〉を対比すると、本件発明の「特定の製造方法」というのは、シリカを沈着させる前に、クロム酸鉛顔料スラリに顔料製造業で周知慣用のセン断分散装置を通常用いられている操作条件で使用したにすぎないものといえるのである。

このような技術水準において、これら諸耐性を有するシリカ被覆クロム酸鉛顔料が本件公知発明によって開示されているのであり、これと対比した本件発明との間に何らの実質的意義を認めることができないことは明らかというべきである。

(三) 次に、審決は、アイラー特許明細書(審判事件・甲第二号証、本訴・甲第四号証)には、「アルミナをコロイドミルで処理してゾル状に分散させることが記載されているだけである」とし、「芯材を微細化した後シリカ被覆を施こす際に微細化の程度を本件発明で規定する特定粉末度にすることを直接教示していない」(審決書二四頁一四~一八行)としているが、明らかに誤っている。

〈1〉 まず、審決が引用するアイラー特許明細書の記載部分(審決書一九頁一三行~二二頁一〇行)にいう「芯材の粒子サイズ」とは、少なくとも五μ以下の一次粒子径を持つ多種多様な芯材凝集粒子を微細化するために、機械にかける際の大きさを説明しているものであって、芯材を機械にかけて微細化した後の芯材懸濁体の脱アグロメレーション状態を示す分散分布範囲(以下「懸濁体の粒子サイズ」という。これが本件発明でいう「特定粉末度」に相当する。)を意味しているものではない。したがって、本来、アイラー特許の「懸濁体の粒子サイズ」と本件発明における「特定粉末度」とを対比検討すべきなのに、審決は、これと全く概念の異なる「芯材の粒子サイズ」すなわち、機械にかけて強力なセン断力を加える前のクロム酸鉛顔料の原料凝縮粒子の大きさと本件発明の特定粉末度とを対比している一方、肝心なアイラー特許の微細化を施したシリカ被覆前の「懸濁体の粒子サイズ」と特定粉末度との関係を何ら判断していない。

〈2〉 次に、アイラー特許明細書には、微細化した芯材に本件発明と同質のシリカ被覆をした耐摩耗性等を有する物品とその製造方法が開示されており、「単位粒子表面へ活性シリカが浸透接近して、そのゲルを形成している極限粒子上に皮膜を形成させるため、微細懸濁液になるまで粉砕されていれば同様に使用できる。」(甲第四号証訳文九頁六~一〇行)として、実施例において、ワーリングブレンダー、陶製ボールミル、コロイドミル等を用いて、芯材をゾル状態の粒子まで微細化することが記載され、その操作の詳細については、米国特許第二五九〇八三三号明細書(審判事件・甲第七号証、本訴・甲第六号証)を引用している。

そして、引用された同米国特許明細書の記載をも参照すると、結局、アイラー特許には、芯材の物性に対応した分散機を選択し、強力なセン断力を加えた微細化手段が示されており、微細化の程度を電子顕微鏡、BET比表面積測定法あるいは光透過粒度分布測定法等により確認し、微細化後のスラリの再アグロメレーションを避けるため、激しい撹拌条件下でシリカ被覆処理を行い、脱アグロメレート粒子への直接被覆を貫徹している。そして、得られたシリカ被覆物品の顕著な耐摩耗性が、実施例二一に示されている。

以上のとおり、アイラー特許明細書は、本件発明でいう「強力なセン断を加える」手段を開示しているし、その操作条件に格別異なるところも見いだせないから、顔料については、セン断が凝集塊を直径一ミクロン以下の最終顔料粒子径の単位にまで分散させていることは明らかである。

してみると、本件発明は、アイラー特許の教示のままに、単にクロム酸鉛顔料を芯材として選択した一実施態様にすぎず、何ら特許とするに値する新技術を提供するものではない。

(四) 審決は、請求人ら(原告ら)の挙げた公知文献につき、これらを参酌して後から分析してみると、本件発明と同じ特定粉末度であるものが包含される場合があることが判明するものの、包含されない場合もあるのであり、甲第二号証(注、本訴・甲第四号証、アイラー特許明細書)の粉末度が遡って本件発明の特定の粉末度を教示していたことにはならない」(審決書二四頁一八行~二五頁五行)と判断するが、誤りである。

審決が同所掲記の各証拠を分析した結果、本件発明と同じ特定粉末度であるものが包含される場合があると認定している以上、仮に包含されない場合があるとしても、少なくとも審決のいうアイラー特許が示すセン断処理による粉末度は、本件発明の出願前の技術によって行われうるとするのが当然の理論の帰結であるはずであり、審決はその論理自体において誤っている。

特に審決が挙げる米国特許第二三四六一八八号明細書(審判事件・甲第三号証、本訴・甲第五号証、以下「ロバートソン特許明細書」といい、その発明を「ロバートソン特許」という。)は、少なくとも本件発明と同一の目的をもって、その手段としてコロイドミルのような分散機で強力セン断を加え、シリカやシリケート皮膜で被覆する安定な顔料とその製造法を開示しており、アイラー特許やこれらの公知文献を総合すれば、本件発明は、分散の目的及び手段が実質的に同一であるこれら公知文献に開示された手段の結果としての特定粉末度と同一範疇にあることは明らかというべきである。

(五) 審決は、本件発明の容易想到性判断につき、結論として「本件発明のクロム酸鉛顔料粒子の粉末度について前述のとおり意味のある規定を、その規定を認識した後にその粉末度のものが存在していた、或いは存在しうることをもって、ましてや特定の摩擦抵抗性をもったものを取得しようとする目的、課題との関連が解明されていない段階で、特定粉末度を選択しかつ甲第五号証(注、本訴・甲第三号証、本件公知発明)のものに必須の要件として結合することが当業者が容易になしえることであるとすることはできない」(審決書二六頁一三行~二七頁一行)と判断するが、上記のとおり、本件公知発明と本件発明との対比において、表現上、特定粉末度と特定の摩擦抵抗性の相違点があるにせよ、それらの規定は、本件第二発明の特定の製造方法によってこれを達成する以外にないところ、本件優先権主張日当時、顔料を製造しこれを使用する方法として、強力なセン断による分散技術が慣用されていたのであるから、本件公知発明にアイラー特許を勘案すれば、本件発明が容易に実施できたものといわなければならない。

三  取消事由三(先願発明との同一性を否定する判断の誤り)

審決は、本件発明と先願発明とが同一であるとの原告らの無効事由の主張に対し、両発明を対比し、先願発明には、本件第一発明の「特定粉末度」の規定及びクロム酸鉛顔料の性質である「特定の性質」の規定がない点並びに本件第二発明の「特定の製造方法」の規定がない点で相違する旨認定したうえ、「本件発明においては上記特定粉末度の規定に意義があることは前記(1)において述べたとおりである。そうすると、本件発明は、他の相違点について言及するまでもなく、先願発明と同一ではなく、特許法第三九条第一項の規定により特許を受けることができないものであるとすることはできない。」(審決書二八頁一七行~二九頁三行)と判断するが誤りである。

(一) 本件発明の特定粉末度の規定に意義がないことは、上記一、二に主張のとおりである。

(二) 次に審決は、先願発明が技術的思想として開示するところを明細書の記載に基づいて判断していない。

すなわち、先願明細書(審判事件・甲第一号証、本訴・甲第一二号証)には、その特許請求の範囲に、本件発明の特定粉末度及び特定の製造方法について規定するところがないことは認めるが、明細書の記載を十分に検討すれば、これらが記載され、又は当然に記載されているものと解することができる。

〈1〉 まず、特定の性質については、先願明細書に、「酸、アルカリおよび石けん液に接触したとき、および露光および三二〇度シーまでの温度に加熱したときに変色に対して安定」(甲第一二号証二二欄四一~四三行)として、本件発明と同じ変色抵抗性が記載されているから、特定の性質について記載がないとする審決の上記認定が誤っていることは明白である。

本件発明の特定の摩擦抵抗性については、先願発明も、ビヒクル中でのセン断、粉砕及び破砕処理などの摩擦下での使用において、皮膜が破壊して原核が露出することがない、いわゆる摩擦抵抗性を有するものであり(同一二欄二五~四二行)、先願明細書と本件明細書の記載を参酌してみると、先願発明には、本件発明の特定の性質が本質的に内在しているといえる。

〈2〉 また、先願発明の各粒子が有する粉末度が本件発明の特定粉末度の規定を満たすことは、別件の訴訟において、被告が主張し、証拠として提出したバルドサール博士らの一九八一年四月一三日付け及び同年九月一五日付け各共同宣誓書の記載から明らかである。

すなわち、四月一三日付け共同宣誓書で取り扱われた顔料は先願発明に係る顔料であり、九月一五日付け共同宣誓書で取り扱われた顔料は本件発明に係る顔料であるが、両共同宣誓書を対比してみると、そこに記載されている「KY-七八一-D」と「KY-七九五-D」なる名称の二つのシリカ被覆クロム酸鉛顔料は、撹拌分散による先願発明に係る顔料であるとともに、強力セン断による本件発明に係る顔料でもあり、両発明に係るこれらの顔料が、顔料スラリの粉末度において、ともに本件発明の特定粉末度を具備していることが述べられている。

してみると、両発明の顔料スラリの粉末度が同一であることは、被告自らが裏付けているのである。

〈3〉 特定の製造方法に係る異同を両発明についてみても、先願明細書には、「よく分散させて行う」(甲第一二号証六欄四三行)とか「よく分散しており、ろ過するのが困難である。」(同八欄三九~四〇行)と記載されており、シリカ被覆前の顔料スラリを十分に分散させることを強調している。この結果、得られた顔料の摩擦抵抗性やシリカ被覆前の顔料スラリの粉末度に実質的に異なることがないことも、上記のとおり、明らかである。

以上のとおり、本件発明と先願発明とは、特許請求の範囲の記載において異なっているとはいえ、明細書の記載を参酌してみると、実質的に同一の発明である。

よって、本件発明は先願発明と同一でないとする審決の認定判断は、明らかに誤りである。

第四  被告の主張の要点

審決の認定判断は、すべて正当であり、原告らの取消事由の主張はいずれも理由がない。

原告らは、審決における本件発明と本件公知発明との一致点及び相違点の認定と相違点の判断の前提として審決が認定したアイラー特許明細書の記載内容の認定を認め、また、先願発明との相違点の認定も認めている。すなわち、原告らが依拠する主な文献である本件公知発明公報(審判事件・甲第五号証、本訴・甲第三号証)、先願明細書(審判事件・甲第一号証、本訴・甲第一二号証)、アイラー特許明細書(審判事件・甲第二号証、本訴・甲第四号証)には、本件発明の特徴的な要件である「特定粉末度」、「特定の性質」、殊に「特定の摩擦抵抗性」及び「特定の製造方法」のいずれの点についても、何らの記載も示唆もないのである。

のみならず、本件発明は、上記の特徴を有することにより、本件明細書に開示されているとおり、著大な作用効果を有する。このことは、審決においても指摘されている小林鑑定書(審判事件・乙第五号証、本訴・乙第一号証の一、二)においても、明瞭に示されている(審決書二五頁一九行~二六頁六行)。

したがって、原告らの主張及び提示する資料によっては、本件特許を無効とすることができないことは明らかである。

一  取消事由一について

(一) 同(一)について

審決は、本件発明においては、特定粉末度と特定の摩擦抵抗性との密接な関係が肯定され、前者の規定が後者を達成するために意義を有するということ、すなわち、本件発明の本質は、特定の摩擦抵抗性を持つシリカ被覆クロム酸鉛顔料を得るために、シリカ被覆をする前のクロム酸鉛顔料粒子を特定粉末度にすることに意義があることを、明瞭に認定している。

原告らは、シリカ被覆前のクロム酸鉛顔料スラリのセン断処理に基本的意義を求めることが不可欠であると主張するが、セン断処理は特定粉末度を得るための手段であることに留意すべきである。

(二) 同(二)について

原告らは、特定の摩擦抵抗性の定義も概念も不明瞭であり、光、希酸、希アルカリ等に対する安定性については摩擦下であると否とに拘わらず評価法すら説明がないと主張するが、光や酸に対する変色抵抗性の評価法が明細書に記載されているか否かは、審決が本件発明の特徴として認定する特定の摩擦抵抗性それ自体の意味とは全く関係ないことである。

特定の摩擦抵抗性の定義ないし概念は、審決の認定するとおり(審決書一六頁一七行~一八頁六行)、本件明細書の例四には、本件発明で規定する特定粉末度を満足しない対照試料Dと、特定粉末度を満足する試料A、B、C、E、Fとについて、表によって、ラブアウトによる強度及び射出(原文の「放出」は誤記)成形の際の熱安定性が示されており、試料Dに比べ、本件発明の特定粉末度を満たす他の試料がすべて優れた性状を有することが開示されている。

すなわち、上記の表には、上記の試料AないしFのクロム酸鉛顔料粒子にシリカを被覆したものについて、慣用の石版ワニス中でのラブアウト(浮きまだらと呼ばれる現象)による強度及び粒状ポリエチレンとブレンドして三一五±一〇度シーの高温で射出成形したときの熱安定性が示されているが、その結果によれば、本件発明の特定粉末度を満たすシリカ被覆クロム酸鉛顔料は、本件発明で規定する特定の摩擦抵抗性、すなわち「二二〇~三二〇度シーの温度範囲の融解熱塑性樹脂と接触した際の変色及び摩擦に対する抵抗性」が極めて優れていることが明らかである。

小林鑑定(乙第一号証の一、二)においても、クロム酸鉛顔料粒子のシリカ被覆前の特定粉末度とシリカ被覆後の顔料粒子の耐熱性及び耐薬品性との間に密接な関係が存在することが示されている(同号証の一、二〇頁一行~二二頁末行)。

原告らは、本件発明の実施例四の摩擦抵抗性の評価が定性的かつ感覚的なものであると批判するが、色調が最重要要素である顔料の安定性について、色の変化で評価するのは極めて当然のことであり、当業者であれば、実施例四の記載をもって十分に理解が可能である。

また、原告らは、特公昭四六-四二七一三号公報(甲第一〇号証)の例一、例二及び例七の記載を理由に、本件発明のものに摩擦抵抗性がないとし、特定粉末度の規定に意義がないと主張するが、上記各例で比較対照されている「ロジン酸塩処理を省いた」クロム酸鉛顔料は、本件発明の実施例と同一ではない。すなわち、本件発明の実施例では、シリカで被覆した後、このスラリをさらに一五分かきまぜ、ついで含水硫酸アルミニウムを加える操作が行われており(甲第二号証一三欄六~八行)、一方、上記公報のものにおいては、このような処理を行っていないのである。したがって、上記公報記載のロジン酸塩処理を省いたものが本件発明の実施例のものに比べ分散性が劣り、試験結果が悪いのは当然である。

(三) 同(三)について

本件明細書に記載されているとおり、クロム酸鉛顔料の実際の製造工程においては、クロム酸鉛顔料粒子のクラスター又はアグロメレートが不可避的に発生する(甲第二号証五欄二六~三六行)。原告らが援用する「色材工学」(甲第九号証)に記載されているような顔料の一次粒子は、学問的な対象でしかありえない。

本件発明は、顔料製造過程で不可避に生じるクラスター又はアグロメレートが完全には除去できない現実を踏まえ、どの程度まで顔料粒子を分散すれば融解熱可塑性樹脂と接触した際にシリカコーティングの保護作用が維持できるかを粉末度の点から明らかにしたものである。

小林鑑定書(乙第一号証の一、二)によれば、本件発明で規定する特定粉末度と特定の摩擦抵抗性との間に密接な関係が存在することは明瞭に示されている。

すなわち、同鑑定書では、シリカコーティングに先立ち、ケイ酸ナトリウムを分散剤として加えた後、クロム酸鉛顔料(YC-2B)に次の三種の処理をし、その粒度の積算重量分布を明らかにしている。

試料A スターラーで回転撹拌のみ

試料B Low shear colloid mill

試料C High shear colloid mill

しかるところ、試料Aでは五・〇μ以上の粒子が大半を占めており、試料Bでは、一・四μ以下のものが五〇%を占めるものの、四・一μ以上のものが二〇%以上を占めており、試料Cでは一・四μ以下のものが約九〇%、四・一μ以上のものは一〇%以下であった。そして、これらの各試料にシリカコーティングをしたものと、シリカコーティング処理をしないものについてポリプロピレンチップ等と一緒に一〇分間ホールミール中で回転混合し、プラスチック射出成形機中にそれぞれ二〇〇度シー、二五〇度シー、三〇〇度シーで五分間滞留させて金型に打ち出してパネル形成したものが示されているところ(写真一-A)、これによれば、本件発明の特定粉末度を満たすものが二二〇~三二〇度シーの温度範囲の融解熱塑性樹脂と接触した際の変色及び摩擦に対し、極めて優れた抵抗性を有することが明らかにされているのである。

(四) 以上のとおり、審決の「……明細書の記載から、本件発明におけるクロム酸鉛顔料粒子の特定粉末度の規定及び特定の摩擦抵抗性の規定は、クロム酸鉛顔料の特定粉末度がシリカ被覆したこれらのクロム酸鉛顔料の殊に摩擦に対する抵抗性及び高温成形時の安定性を向上させるために、すなわち、特定の摩擦抵抗性にとって意義を有するという関係にあり、少なくとも特定粉末度の規定は意味をもつものであることは明らかである。」(審決書一八頁末行~一九頁八行)との認定は、正当であり、原告らの取消事由一の主張は理由がない。

二  取消事由二について

(一) 原告らは、審決が、「次に、この特定粉末度が顔料スラリーを顔料業界で古くから普通に行なわれているコロイドミル又はホモジナイザーにかける分散の結果そのものであるかどうかをみる。」(審決書一九頁九~一二行)とする命題を設定し、提出された資料を検討したうえ、これらを総合して勘案しても、「クロム酸鉛顔料をコロイドミルやホモジナイザーによってセン断処理をした場合に必ず本件特許発明で規定する特定粉末度に達するということではなく、また、特定の摩擦抵抗性と粉末度との関連を教示する開示を見いだせず、それゆえ、本件発明で規定する特定粉末度が顔料スラリーを顔料業界で古くから普通に行なわれているコロイドミル又はホモジナイザーにかける分散の結果そのものであるとはとうていいえない。」(審決書二五頁九~一八行)と認定した点を論難する。

被告も、本件明細書(甲第二号証)や「Colloidal Dispersions」(甲第八号証)にも記載されているとおり、コロイドミルやホモジナイザーが顔料技術の分野で普通に用いられていること自体は何ら否定するものではない。

しかしながら、本件発明で重要なことは、顔料スラリの分散処理のために、コロイドミルやホモジナイザー等のセン断処理装置を使用すること自体にあるのではなく、シリカを沈着させる前に、スラリ中のクロム酸鉛顔料粒子に強力なセン断力を加え、特定粉末度にすることにあり、コロイドミルやホモジナイザーは、そのための単なる一手段にすぎないのである。すなわち、本件発明におけるように、シリカ被覆前のクロム酸鉛顔料をどのような粉末度に分散すれば、それをシリカ被覆した後にどのような作用効果が得られるかということの解明なしには、クロム酸鉛顔料をいかなる条件下で分散するかを決定することはできないのである。したがって、一般論として、ホモジナイザーやコロイドミルが顔料スラリの微細化の目的で用いられることが公知であるとか、また、かかる装置を用いれば操作条件如何によって顔料スラリを一μ以下に脱アグロメレートすることができることが公知であるとかの原告ら主張の議論は、本件発明の本質からかけ離れた議論というほかはない。

(二) 原告らは、アイラー特許明細書(甲第四号証)が芯材を微細化することを開示していることを理由に、審決の認定が誤っているという。

しかしながら、アイラー特許明細書には、「芯は又上記の寸法範囲の粒子が凝集して構成されている粉末であってもよい。」(同号証訳文四頁一〇~一一行)、「従ってその粒子寸法は約一から五〇、好ましくは一から二五μのものである。粒子径が例えば1/2インチに及ぶ大きいものも可能であるが、取扱いが非常に困難となる。」(同四頁一五~末行)と記載されているとおり、粒子が凝集したアグロメレートからなる芯材にシリカ被覆を施すことができることを記しているのであって、そこには、アグロメレートやクラスターに強力なセン断力を加え、それらをよくときほぐして特定粉末度に分散したものにシリカ被覆を施すことについては、何らの記載も示唆もない。

また、アイラー特許の芯材は、クリソタイル石綿、アパタルジャイト粘土等、本件発明が対象とするクロム酸鉛顔料とは全く関係のないものばかりであり、粉末度のデータは、実施例一、三、四、五においては表面積、実施例二、七、一〇、一三においては粒子の平均径であって、本件発明のように遠心分離処理による粒子サイズ分布測定法により測定される粉末度とは全く相違するものである。しかも、平均径で示されている実施例二、七については繊維であることが明示されており、ますます本件発明とは無関係であることが明らかである。

しかも、アイラー特許明細書にいう「耐磨耗性」とは、「一〇〇〇/tで定義され、tは一定速度で動く糸が一定の張力の下で標準銅線を切るに要する時間の秒数である」(同号証訳文七六頁下から二行~七七頁一行)というものであって、芯材に被覆されたシリカ皮膜が破壊されるか否かを問題としている本件発明の「摩擦抵抗性」とは概念も測定方法も全く異なるものである。

この点については、小林第二鑑定書(乙第二号証)にも、次のとおり述べられている(同号証一一頁三~二〇行)。「アイラー特許には、芯材として多数の物質が例示されているにも拘らず、クロム酸鉛顔料を用いることについては記載されていない。また、アイラー特許は芯材として約一~五〇ミクロンの微細なものから直径1/2インチまでの大きなものまでを対象としており(第二欄一二~一五行)、微細化処理によって特定粉末度にすることは指定されていない。

クロム酸鉛顔料は、小林第一鑑定書及び中原鑑定書にも記載されているように、平均一次粒子径は〇・三μ程度であるが、通常は凝集した二次粒子の状態で存在する。これに対し、アイラー特許の実施例一~一〇で芯材として用いられているアスベスト、粘土鉱物、マイカ等は本来岩石の一種であって、微細化のプロセスが必要であり、そのためにこれらの実施例では、ワーリングブレンダーやボールミルが用いられているのであって、アグロメレートを解きほぐし、分散状態を改良しようとしている訳ではない。このことは、例えば、実施例一でワーリングブレンダー処理後に濾過、乾燥等の処理が行われていることからも明らかである。

かように、アイラー特許では、シリカ被覆前の芯材スラリーの調製時に強力なせん断力を加えてアグロメレートを極力解きほぐした状態のスラリーをつくり、そのような状態の芯材にシリカ被覆を施すことについては何ら記載も示唆もされていない。」

原告らは、「本件特許発明が具備する特定粉末度がアイラー特許を適用したクロム酸鉛顔料スラリも具備することは、疑念をはさむ余地はない。」と主張し、中原鑑定書を提出している。しかしながら、中原鑑定は、アイラー特許の開示する実施例に準拠して行ったとされているものの、シリカ被覆前の顔料スラリ調製時の固形分濃度がアイラー特許の実施例の濃度と著しく相違していること、アイラー特許に何ら記載のない顔料スラリの分散に、ケイ酸ソーダが添加されていること等、アイラー特許の実施例の再現とは到底いえないものであり、アイラー特許の忠実な追試を行った小林第二鑑定書(乙第二号証)も、「スラリーに予めケイ酸ソーダを加えないアイラー特許に記載の条件下では、クロム酸鉛顔料スラリーをリントン[3]特許で規定する特定粉末度にまで分散させることはできなかった。」(同号証一六頁五~七行)、「アイラー特許には芯材としてクロム酸鉛顔料を用いることは記載されていないが、たとえ芯材としてクロム酸鉛顔料を用いてアイラー特許に記載の方法を追試しても、リントン[3]特許にいうシリカ被覆クロム酸鉛顔料を得ることができないことは明らかである。」(同一六頁一六~一九行)と結論付けている。

(三) 以上のとおり、クロム酸鉛顔料にアイラー特許を適用すれば、本件特許発明の特定粉末度が得られる等という原告らの主張は明らかに失当であり、審決の「本件発明のクロム酸鉛顔料粒子の粉末度について前述のとおり意味のある規定を、その規定を認識した後にその粉末度のものが存在していた、或いは存在しうることをもって、ましてや特定の摩擦抵抗性をもったものを取得しようとする目的、課題との関連が解明されていない段階で、特定粉末度を選択しかつ甲第五号証のものに必須の要件として結合することが当業者が容易になしえることであるとすることはできない。なお、一旦そういう目的を設定したとき、それを達成する特定の製造方法が当業者が容易になしうることが、ただちにその目的を達成するために本件第二発明の特定の製造方法を採用することが当業者が容易になしえることであることにならないことはいうまでもない。……したがって、本件発明は、その特許出願前日本国内或いは外国で頒布された刊行物に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法二九条第二項の規定により特許を受けることができないものであるとすることはできない。」(審決書二六頁一三行~二七頁一六行)とする判断は正当である。

三  取消事由三について

原告らは、先願明細書(甲第一二号証)と本件明細書(甲第二号証)を対比しても、審決が認定する程明解に特許請求の範囲の記載上の差異が実質的な発明の差異とは認められないとか、先願発明は摩擦抵抗性や特定の摩擦抵抗性を有する以上、クロム酸鉛顔料の粒子も特定粉末度を必然的に内在していることは確認するまでもないと主張している。

しかしながら、審決も認定するとおり、先願明細書には、クロム酸鉛顔料粒子をシリカ被覆する前に、本件発明が規定する特定粉末度とすることは勿論のこと、本件発明の核心的な効果である「二二〇~三二〇度シーの温度範囲の融解熱塑性樹脂と接触した際の摩擦抵抗性に対し抵抗性をもつ」ことについても、一切触れられていない。

すなわち、本件明細書には、「このような顔料は、液体媒質中で摩擦作用を加えるとき、たとえばペイント調合のためにボールミルにかけるときなどに、その光および化学的安定性をかなり失なうことがわかった。この原因は容易につきとめることができず、それを防ぐ方法も明らかでない。」(甲第二号証二欄三三~末行)と明確に記載されているのに対し、先願明細書には、「たとえば、本発明の顔料を、結晶塩のような硬質粒状材料あるいはポリスチレンのような粒状プラスチックと混合し、密閉容器中でタンブリングまたはローリングすることによって激しくかきまぜると、皮膜は実質的に破壊され、生成物は未処理顔料の一般的な性質だけを持つようになる。したがって、このような処理は避けるべきである。」(甲第一二号証一一欄二四~三一行)と記載されており、先願発明が本件発明におけるような特定の摩擦抵抗性を有しないことが明記されている。

そして、本件発明における特定粉末度の規定が特定の摩擦抵抗性のための規定要件として意義を有することは上記一、二に主張したとおりであるから、本件発明と、先願発明とを同一発明とすることはできない。

これと同旨の審決の判断(審決書二八頁六行~二九頁三行)は、正当であり、原告らの取消事由三も理由がない。

第五  証拠関係《略》

第六  当裁判所の判断

一  本件発明における摩擦抵抗性の意義

(一) 本件第一発明及び第二発明の要旨が次のとおりであることは、当事者間に争いがない。

本件第一発明

「全重量に基づき約二~四〇重量%のち密な無定型シリカを実質的に連続性の皮膜としてその表面上に沈着させた、顔料スラリーの遠心分離処理を含む粒子サイズ分布測定法により測定してそれぞれ粉末度四・一μ以上のもの一〇%以下および粉末度一・四μ以下のもの少なくとも五〇%を含むクロム酸鉛顔料粒子から実質的に成り、光、希酸、希アルカリ、石ケン溶液および特に二二〇~三二〇度シーの温度範囲の融解熱塑性樹脂と接触した際の変色および摩擦に対し抵抗性をもつ改良クロム酸鉛顔料。」

本件第二発明

「(一)クロム酸塩粒子を水性媒質中でスラリ化する工程および(二)そのようにスラリ化した顔料粒子にpH六以上および六〇度シー以上において、ケイ酸ナトリウム水溶液から、ち密な無定形シリカ二~四〇%を沈着させる工程から成る前項記載のシリカ被覆したクロム酸鉛顔料の製造方法において、シリカを沈着させる前に、スラリ中のクロム酸鉛顔料粒子に強力なセン断を加え、それによって顔料スラリーの遠心分離処理を含む粒子サイズ分布測定法により測定してそれぞれ粉末度四・一μ以上の粒子を一〇%以下に、かつ粉末度一・四μ以下の粒子を少なくとも五〇%にすることを特徴とする改良方法。」

そして、本件明細書(甲第二号証)には、本件発明に至った理由につき、クロム酸鉛顔料自体の欠点として、「一、クロム酸イオンの可溶化性に起因するアルカリおよび酸に対する不安定性。二、黒い硫化鉛の形成による硫化物の存在下でのよごれ。三、六価のクロムが三価のクロムに還元されることに起因する、光または熱にさらした際の黒変。」(同号証四欄一四~一九行)を指摘し、これに対処するために、ち密な無定形シリカで被覆したクロム酸鉛顔料が知られているが、そのような顔料につき、「米国特許第三三七〇九七一号明細書に記載されている顔料は、多くの用途に供した場合、熱および化学的作用に対してすぐれた安定性を示すが、このような顔料は、液体媒質中で摩擦作用を加えるとき、たとえばペイント調合のためにボールミルにかけるときなどに、その光および化学的安定性をかなり失なうことがわかった。」(同二欄三〇~三六行)、「現在入手しうるクロム酸鉛顔料は、普通のプラスチック加工の際にもたらされる比較的高い成形温度(二〇〇~三二〇度シー)においてそのプラスチックを著しく変色または黒化するので、高温生計プラスチック(たとえばポリスチレン、ポリエチレン、ポリプロピレンなど)の着色用として使用することができない。」(同四欄三九~四五行)、「ポリスチレン、ポリエチレンなどのような熱塑性樹脂の着色に顔料を使用する場合には、先ずこの乾燥顔料を固体か粒状樹脂と混合し、この混合物を均質になるまで激しくかきまぜる。この操作は、リボンブレンダー、バンブリミキサー、ベーカー・パーキンスミキサーのような各種の装置中で、ドラムタンブリングすること、すなわち密閉ドラム中で端と端とを交互に転倒させることによって行う。今日、プラスチック工業界で普通のことになっているこれらの操作ではいずれも、前記のような激しい取り扱いを現実に伴なうために、クロム酸鉛顔料からシリカまたはシリカ-アルミナのコーチングがいろいろな程度で剥離もしくは除去され、その結果、顔料の化学的、熱的および光に対する抵抗が劣化する。」(同三欄六~二〇行)として、その欠点を指摘し、このような従来のシリカ被覆クロム酸鉛顔料の問題点を改良するために、「本発明において、被覆加工の効果をできるだけ確実にするために、コーチング材料がその上に沈着する前に被覆しようとする粉状の着色材料のスラリに強力なセン断を加えて、顔料のクラスターや凝集体をよく分散させる。このようにすると、コーチングに摩擦作用が加わる条件のもとで顔料を加工したときに、コーチングの保護効果の低下をあまり生じない生成物が得られる。」(同三欄二九~三六行)として、本件発明のクロム酸鉛顔料及びその製造方法について説明していることが認められる。

以上の本件発明の要旨及び本件明細書の記載によれば、本件発明は、シリカ被覆クロム酸鉛顔料をポリスチレンやポリエチレンなどのような熱塑性樹脂の着色用に使用される場合、乾燥顔料が固体粒子状樹脂と混合均質化される過程やその混合物の高温成形過程における摩擦によりシリカ被覆が剥離又は除去され、その結果、光、薬品、熱的安定性が低下するという従来のシリカ被覆クロム酸鉛顔料の欠点を改善しようとするものであることが明らかであり、そのために、シリカを被覆する前に、クロム酸鉛顔料スラリに強力なセン断を加えることによって、本件第一発明の規定する「顔料スラリーの遠心分離処理を含む粒子サイズ分布測定法により測定してそれぞれ粉末度四・一μ以上のもの一〇%以下および粉末度一・四μ以下のもの少なくとも五〇%を含む」という「特定粉末度」を得、これによって、「光、希酸、希アルカリ、石ケン溶液および特に二二〇~三二〇度シーの温度範囲の融解熱塑性樹脂と接触した際の変色および摩擦に対し抵抗性をもつ」(「特定の性質」)という効果を得るものであり、本件第二発明の「特定の製造方法」は、この特定粉末度を得るための手段であることが認められる。

(二) 以上の事実によれば、本件発明における「摩擦に対する抵抗性」とは、単に熱塑性樹脂の着色加工において、上記温度範囲での融解熱塑性樹脂との接触によって受ける摩擦に対する抵抗性のみを意味すると解するのは適切でなく、シリカ被覆クロム酸鉛顔料と固体粒子状樹脂との混合過程及びその混合物の高温成形過程を含むプラスチック着色工程で受ける摩擦に対する抵抗性を意味すると解すべきであり、一方、本件公知発明には、摩擦に対する抵抗性について規定するところがないことは当事者間に争いがないから、両者を対比した場合、審決が両者の相違点を、単に「二二〇~二三〇度シーの温度範囲の融解熱塑性樹脂と接触した際の摩擦に対し抵抗性をもつ」と認定し、上記温度範囲での融解熱塑性樹脂との接触によって受ける摩擦に対する抵抗性のみを採り上げ、これを「特定の摩擦抵抗性」と名付けて、本件発明の特徴としたことは、正確性を欠くものといわなければならない。

そして、上記のとおり、摩擦によりシリカ被覆が剥離又は除去される結果、光、薬品、熱的安定性が低下するのであるから、本件発明の要旨の「光、希酸、希アルカリ、石ケン溶液および特に二二〇~三二〇度シーの温度範囲の融解熱塑性樹脂と接触した際の変色……に対し抵抗性をもつ」こと、すなわち、変色抵抗性ないし熱安定性は、「摩擦に対し抵抗性をもつ」ことを反映し、変色抵抗性ないし熱安定性は、摩擦抵抗性を判断する指標となるものと認められるが、この変色抵抗性及び摩擦抵抗性の規定は、その記載から明らかなように、定量的に本件発明のシリカ被覆クロム酸鉛顔料の性質を規定するものではないから、それ自体で、他のシリカ被覆クロム酸鉛顔料との差異を示すに足りる程の明示の指標を何ら規定しているものではない。

このことは、本件公知発明の内容が、「クロム酸鉛顔料とその顔料の各粒子表面に実質的に連続した皮膜として沈積した全重量当り少なくとも二%の濃密な不定形シリカを有するクロム酸鉛顔料粒子から本質的に構成される、酸、アルカリおよび石ケン溶液に接触したとき、および露光および三二〇度シーまでの温度に加熱したときに変色に対し耐性を有するクロム酸鉛顔料」というものであって、ここに記載されている変色に対する酸性の規定が、本件第一発明の上記変色抵抗性の規定と、文言上意味するところが、特段の差異を示しているとは認められないことからも裏付けられる。

このように、文言上、両者のシリカ被覆クロム酸鉛顔料の変色抵抗性の程度が区別できないように記載されているにもかかわらず、本件明細書には、甲第三号証と乙第七号証により本件公知発明と同一の発明と認められる米国特許第三三七〇九七一号発明と対比した場合、本件発明による生成物の方が、上記米国特許発明すなわち本件公知発明よりも、「空気中で加熱した場合または成形したプラスチックに対する着色剤として用いた場合のいずれにおいても、光または高温にさらした際の変色に対する抵抗性が改良されている」(甲第二号証一一欄三一~三五行)と記載されていることと、変色抵抗性が摩擦抵抗性の反映であることからすれば、本件第一発明の規定する変色抵抗性及び摩擦抵抗性は、上記特定粉末度の規定する顔料粒子から成るクロム酸鉛顔料の持つ性質をいうにすぎず、したがって、本件第一発明の意義は、このような特定粉末度を規定したことにあり、また、これに尽きるものといわなければならない。

二  本件発明における特定粉末度の規定の意義

(一) 本件発明の特定粉末度は、本件第二発明に規定されている特定の製造方法が示すように、「シリカを沈着させる前に、スラリ中のクロム酸鉛顔料粒子に強力なセン断を加え」ることにより達成されるものであるが、このように強力なセン断を加えることの意義につき、本件明細書(甲第二号証)には、「セン断力によって、もとの顔料粒子の集合体もしくはアグロメレーションが破壊され、シリカによる一そう効果的な被覆を生じ、またその後の被覆した生成物の使用時において破壊するおそれのある被覆された顔料のアグロメレートの存在を防ぐことができるものと思われる。」(同号証三欄九~一四行)、「本発明において、被覆加工の効果をできるだけ確実にするために、コーチング材料がその上に沈着する前に被覆しようとする粉状の着色材料のスラリに強力なセン断を加えて、顔料のクラスターや凝集体をよく分散させる。このようにすると、コーチングに摩擦作用が加わる条件のもとで顔料を加工したときに、コーチングの保護効果の低下をあまり生じない生成物が得られる。」(同三欄二九~三六行)と説明されている。

このように、粉状の着色材料のスラリに強力なセン断を加えて、顔料のクラスターや凝集体をよく分散させ、できるだけ顔料の一次粒子又はそれに近い状態にすることが必要であることは周知の事実と認められ(甲第九号証、昭和三九年一〇月発行「色材工学」)、一次粒子ないしそれに近い状態に分散された顔料が、熱、溶剤、酸、アルカリ、光、摩擦等に対し、耐性を有するかどうかは、このようにして分散された個々の顔料粒子が有する上記に対する耐性によるものであることは自明であるから、このような顔料の周知の製造方法を前提とすれば、クロム酸鉛顔料の個々の一次粒子が、完全にシリカ被覆されることが最も望ましいことは、当業者にとって明らかなことと認められる。

現に、既に古く一九四四年四月一一日に特許された米国特許第二三四六一八八号明細書(ロバートソン特許明細書、審判事件・甲第三号証、本訴・甲第五号証)には、クロム酸鉛顔料を含むと認められる顔料につき、「予め調製した顔料物質を水不溶性シリカ化合物で処理してそれらを緊密にかつ均一に結合させ、できる限り顔料粒子を不溶性シリカ化合物で被覆する」(同号証訳文一頁本文二二~二四行)ことにより、「顔料の被覆力を改善する方法を提供する」(同一頁本文一九行)発明が記載されているが、これにつき、「スラリーは適当な既知の手段、例えば水性媒体中で顔料粒子を粉砕(milling)、磨砕(grinding)あるいは激しく撹拌することにより調製される。」(同二頁二一~二三行)、「水溶性金属化合物を添加して難溶性シリケートを沈澱させる前に、水溶性シリケートを顔料スラリーに添加すれば顔料が一層完全に分散され、更に所望すれば水圧分離(hydroseparation)又は他の手段によって粗粒(gritty materials)を一層容易に除去できる。また、顔料スラリーは、シリケート処理に先立って、その顔料中に存在する粗粒又はアグロメレートを解砕するために、コロイドミルやペブルミルで処理するのが有利である。」(同二頁二~九行)との記載があり、シリカ被覆に先立ち、顔料スラリをコロイドミルやペブルミルで激しく撹拌して、顔料のアグロメレートを解砕し、一次粒子化することにより、シリカ被覆顔料の被覆力を改善することが記載されている。

このように、本件発明において、シリカを沈着させる前にスラリ中のクロム酸鉛顔料粒子に強力なセン断を加え、これをできる限り一次粒子化すれば、シリカ被覆の保護効果が改善されるとの知見は、本件優先権主張日前、当業者にとって周知の知見であったと認められる。

(二) 一方、本件発明の特定粉末度を得るための「強力なセン断を加え」る方法が、顔料スラリを顔料業界で古くから普通に行われているコロイドミル又はホモジナイザーにかける方法で行われ、その処理条件においても特段の規定がないことは、本件第二発明の要旨に示すとおりであり、本件明細書(甲第二号証)にも、「顔料アグロメレートを破壊するのに適したものとして、実施例中においては二つの型の装置、すなわちコロイドミルとホモジナイザーとを使用している。これらはいずれも顔料製造工業で普通に用いられており、その設計には特に制限はない。サンドミル、超音波エネルギーミルなどのような他の装置も、コーチングに先立って所定の程度まで顔料アグロメレートを破壊するのに必要な強力なセン断作用を与えることができるものでありさえすれば、同じように使用することができる。」(同号証九欄三五~四四行)、「本発明で要求される程度の脱アグロメレーションを得るのに必要な操作条件の違いは、前記の各種ミルの操作を行なう当業者にとって自明である。」(同一〇欄一〇~一三行)として、これを明らかにしている。

(三) 本件発明の強力なセン断を加えた顔料粒子によりなるクロム酸鉛顔料が、このような強力なセン断を加えずに、単にかきまぜた後にシリカ被覆をしたクロム酸鉛顔料よりも、変色抵抗性及び摩擦抵抗性に優れていることは、本件明細書の記載(甲第二号証一四欄一六行~一九欄四二行の例四、例五の記載)から明らかであり、この記載に基づいて、審決も認定するとおり(審決書一六頁一七行~一八頁一九行)であると認められる。

しかし、本件明細書には、本件第一発明の特定粉末度の規定を満たす場合とこれを満たさない場合との変色抵抗性及び摩擦抵抗性の対比は、特定粉末度の規定が臨界的意義を有するものであることを明らかにするほど十分になされているとは認められず、かえって、本件明細書の「生成物の品質は、セン断作用の程度が増大すると共に向上することがわかる。」(甲第二号証一〇欄一四~一五行)、「実用の範囲内で、ラブアウトによる強度および射出成形の際の着色安定性の改良度は、コーチングを施こすに先立って、顔料スラリの分散液に加えたセン断力と正比例することがわかる。」(同一六欄二二~二六行)との記載からすれば、それは、臨界的意義を有するものではないと認められる。

(四) 以上のとおり、シリカを沈着させる前にスラリ中のクロム酸鉛顔料粒子に強力なセン断を加え、顔料粒子のクラスター又はアグロメレートを破壊し、これをできる限り一次粒子化すれば、シリカ被覆の保護効果が改善されるとの本件発明の基礎をなす知見が、本件優先権主張日前、当業者にとって周知の知見であり、本件発明の特定粉末度を得るための「強力なセン断を加え」る方法が、顔料業界で古くから普通に用いられている装置により、当業者であれば自明の処理条件で行われる方法であり、しかも、特定粉末度の規定が臨界的意義を有するものと認められないことからすれば、本件発明における特定粉末度の規定は、当業者が慣用している普通の装置により自明の操作条件の下で、シリカ被覆前のクロム酸鉛顔料粒子に強力なセン断を加える公知の方法によって製造されたシリカ被覆クロム酸鉛顔料のうち、このような強力なセン断を加えない方法によって製造されたシリカ被覆クロム酸鉛顔料と比較して、変色抵抗性及び摩擦抵抗性に優れたと認められるものを、当業者にとって周知の知見に基づき特定するための規定にすぎないものといわざるをえない。すなわち、これをもって、公知のシリカ被覆クロム酸鉛顔料及びその製造方法に、当業者が容易に想到できない程度の技術的寄与をしたものと評価することはできない。

また、本件第二発明の特定の製造方法であるシリカ被覆前のクロム酸鉛顔料粒子を特定粉末度とするために「強力なセン断を加え」ることも、公知の方法以上に出ないものであることは、上記のとおりである。

三  本件発明の容易想到性

本件第一発明の摩擦抵抗性及び特定粉末度の規定、ひいては本件第二発明における特定の製造方法の規定が上記の意義しか有しないと認められるのであるから、本件第一、第二発明は、当業者が本件公知発明公報、ロバートソン特許明細書、その他上記の公知文献が開示している技術に基づいて、容易に発明をすることができたものと認めるほかはない。本件全証拠を検討しても、この判断を覆すに足りる資料は見当たらない。

これと見解を異にする審決の判断は誤りといわなければならず、審決は取消しを免れない。

四  付言するに、本件審決は、原告ら及び訴外日本無機化学工業株式会社がそれぞれ別個に請求した特許無効審判事件の審理が併合されて、共通にされた当事者の主張、証拠に基づき、一個の審決書においてなされた審決である。本件訴訟は、このうち、原告らに係る審決の取消しを求める訴訟であり、上記訴外会社に係る審決については、同訴外会社が法定の期間内に審決取消訴訟を提起していないことは当裁判所に顕著である。

このような場合において、同訴外会社に係る無効不成立の審決が確定したものとして確定審決の登録がなされたとしても、原告らが、特許法一六七条の規定に基づき、遡って本件審判請求の利益を失うものと解し、ひいては、本件訴訟につき訴えの利益を欠くに至ると解することはできない。

その理論的構成は種々考えられるが、現行特許法の規定するところとすべて矛盾なく説明できる構成は困難であると思われる。問題の根本は、特許法一六七条が「何人も」と規定しているところにあり、この点については、同条と同旨の一事不再理効を規定していたオーストリア特許法一四六条二項の規定のうち「第三者からなされたものであっても」との部分が、同国憲法裁判所の一九七三年一〇月一七日の判決により違憲とされて、同条項が廃止されたことが想起され、また、このような一事不再理効を定めた規定を持たない我が国の行政事件訴訟法及び民事訴訟法の運営において特段の不都合が生じていないことに照らせば、本件のような事案にまで、特許法一六七条の適用を認めることは相当でない。

五  よって、原告らの本訴は適法なものであり、その請求は理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の付与につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、一五八条二項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 山下和明 裁判官 芝田俊文)

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